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<ノベル>
★1.ただいま準備中(色んな意味で)
「……ん?」
午前九時過ぎ。
町を歩いていた神宮寺剛政(じんぐうじ・たかまさ)は、なにやら怪しい気配を感じた気がして立ち止まり、背後を振り返った。
「……気の所為、か……?」
背筋を氷でスーッと撫でられるような、嫌な、それでいて日常的に味わっている感覚があったような気がしたのだが、いつも通りの光景が広がるばかりで、おかしなものは何もない。
「……?」
首を傾げ、やはり気の所為かと納得して一歩踏み出しかけたところで、唐突に何かが足に巻きつき、剛政は強烈な勢いで物陰へ引きずり込まれた。
「な……ッ」
無論、悪魔の従僕として、常日頃から様々な危険やトラブルと隣りあわせで生きている剛政だ、彼はすぐに跳ね起き、体勢を整えて、いつでも反撃に移れるよう身構えたが、自分の足首を戒めるものがなんなのか、自分の目の前に佇むのが誰なのかを理解するや青褪めた。
「り、リーリウム……!」
そう、剛政の足首に巻きついていたのは女王の忠実なる下僕たるツタであり、片膝をついた彼を見下ろして微笑んでいたのは傍迷惑な神聖生物・森の娘の筆頭リーリウムだったのだ。
カフェではシンプルなエプロンドレスを着ていることが多い彼女だが、今日は深紅を基調としたゴシック&ロリータの衣装に身を包んでおり、外見だけ見ればすべてが完璧に整えられた美貌の乙女である。外見だけなら。
「ご機嫌よう、ターシャちゃん。今日もとっても素敵よ」
「何か色んなものが間違ってるから返事したくねぇ」
「ええ、別に構わないわ、どうせやることは一緒だものね」
「え」
「さあ、では行きましょうか」
「ちょ、え、なん……」
非常に嫌な予感がして、剛政が何かを突っ込むよりも、拒絶するよりも早く、タナトス兵よりも怖いと噂の笑顔とともにリーリウムがツタを促すと、緑色のロープはホラー映画さながらの恐ろしさでざわざわと蠢き、剛政を雁字搦めにしたままでずるずると動き出した。
「ちょうどよかったわ、あのメイド服、ヴァージョンアップしたところだったのよね。大々的にお披露目をすれば、お店にも貢献できるわ」
黒い笑顔を滲ませたリーリウムが小さく呟いたそれを耳ざとく聞きつけ、剛政の顔色は一気に紙付近まで下降する。
ジョとかソウとかいう方面的に、何かとても不味いことになっているという直感が働き――こんな直接的で切ない直感はそうそうないと思う剛政である――、とにかくターシャちゃんへの美★チェンジを阻止すべく、彼は何とかしてツタを引き剥がそうともがきながら叫ぶ。
「待てッ、いい加減俺を巻き込むな本当に訴えるぞっ!? こないだのあの……く、口にしたくもねぇけど、ネ、ネグリジェとかッ、もう真剣に(色んなものが)死ぬかと思ったんだからなッ!!」
剛政はかなり必死だったし、あの時は舌でも噛むべきかと世を儚みそうになったものだったが、しかし、返った言葉といえば、
「じゃあ……法廷では、ゴシック&ロリータ衣装で争いましょうね」
などという、何故かひどく楽しげなものだった。
今のような、繊細なリボンとフリル、レースで彩られた美しくフェティッシュなゴスロリ衣装に身を包んだ被告人リーリウムと、同じ種類の衣装をまとった被害者ターシャとが向き合って喧々諤々と議論を戦わせている様子を脳裏に思い描いてしまい、剛政は超絶微妙な顔になる。
そもそも女王と非道な仲間たちを裁けるような機関がこの世界にあるのかどうかも微妙な話だ。
「って、俺もかよっ!?」
「当然よ、天地開闢の理並の真理だわ。――もちろん、わたしたちも、腕によりをかけて装っていくわ。ああ、せっかくだから、弁護士さんにも裁判官の皆さんにも、どうかしら」
「何回言ったか判らねぇが、何がどう『せっかく』なのか教えてくれ、四百字詰め原稿用紙三枚以内でっ!」
「ええ、構わないわよ? だからね――……」
輝かんばかりの笑顔が地獄の獄卒より怖いと再認識しつつ、『何故装わせるのか、そこに美★チェンジがあるからだ』的名(迷、もしくは冥)言を延々と聞かされながら、銀コミ会場に辿り着いた(着かされた)剛政が、自分が一体何をさせられるのかを知って青褪めるのは、ここからおよそ三十分後のことである。
取島(トリシマ)カラスがすっかり準備を整えて家を出たのは午前十時前のことだった。
「えーっと、銀幕市民ホール、だったよな……」
自称ではあるがイラストレーターをしている彼は、依然知り合いの同人作家の小説に頼まれて挿絵を描いたのだが、それが今回無事に発行されたらしく、報酬代わりに本を渡すから取りに来いと言われたのだ。
販売する側であればもうこの時間には準備を終えていなければ不味いだろうが、同人云々を知らぬわけではないものの自分でサークルを作ったりSPを取ったりという活動をしていないカラスは、パンフレットを購入しての一般参加になるため、あまり急ぐ必要もないのだった。
「何か……面白い本とか、出てたら買って来ようかな」
同人誌というのは所謂アマチュアの人々の手になるものだが、中にはプロも顔負けの作品を見ることも出来るし、なかなか侮れない場所なのだ。
人気の同人作家など、下手なプロよりも稼ぐという。
漫画やアニメなどをモチーフにした所謂二次創作にはあまり興味も知識もないカラスだが、オリジナルの、秀逸な作品を発掘出来るのは悪くないと思うし、ロマンティックな面のある彼は、夢のようなファンタジー物語を探すことを楽しみのひとつにしていた。
カラスが今回イラストを書いた小説も、切ない系のファンタジーもので、騎士と姫君の秘められた恋に世界の覇者たるドラゴンを絡め、邪神復活とそれに抗う人々を描いた、活劇とラブストーリーが同時に楽しめる代物だ。特にドラゴンという幻想生物が好きなカラスには堪らない。
そのストーリーの中に、自分のイラストが華を添えられるのならば、それはとても幸せで嬉しいことだとカラスは思う。
「誰か……知ってる人、来てるかな……?」
つぶやきつつ、カラスは、銀幕市民ホールに向かって歩き出す。
――まさか、映画ジャンルゾーンで、友人知人のあんな本やこんな本を見ることになるとは思いもせずに。
レイドがそこを通りかかったのは偶然のことだった。
時刻は午前十時過ぎ、ファンタジー系映画から実体化したムービースターである彼に曜日などというものはよく判らないが、今日は日曜日という安息の一日であるらしく、街はまだ静かなものだ。
ようやく商店街が目覚め、賑やかな音を発し始めた、という程度に過ぎない。
「まぁでも……こういうのも、また別の風情があっていいよな」
静かな街は、賑やかに華やいでいるときとは別物のように、『街』という一個の存在をくっきりと浮かび上がらせる。
それほど発達した世界の出身ではないレイドには、こういう、整然とした建物や、美しく舗装された道路、ショウウィンドウや看板などという代物は、見ているだけでも興味深い。これだけのものを整えるのに、一体どれだけの労力と金銭とが使われているのか、などと考えると、この世界の豊かさ、進歩を垣間見る思いがする。
「さて……あいつに何か土産でも……」
『俺はあいつの父親でもなきゃ恋人でもねぇ!』的相棒の少女に、何か喜ぶようなものでも買って帰ってやろうと思いつつ周囲を見渡したレイドは、一際立派で大きな建物の前の広場に、この時間帯には珍しいほどの人だかりが出来ていることに気づいて首を傾げた。
「……何か、やってんのかな」
人々が品物を持ち寄って安価で売り買いをする市(いち)のようなものでも立っているのかと、数百メートル離れたそこを、片方だけの目を眇めて眺めやったあと、
「行ってみるか」
何か面白いものがあればいいんだが、などと呟いて歩き出す。
どうせ、時間はあるのだ。
――広場に辿り着き、その場にいた少女のひとりから『本を売る催しだ』と聞いて中へ踏み込んだレイドは、まさか自分をネタにしたあんな本やこんな本を目にして悶絶する羽目になるとは、この時はまだ想像もしていなかった。
「さーって、と」
ウィズは腕まくりをせんばかりの勢いで、完璧にセッティングされた自SPを見渡した。
サークル名『BE WITH』、PN『ウグイスヒビキ』。
それが今日の彼の背景であり、名前である。
海賊映画から実体化した彼が何故、と訝るものは多いだろうが、ウィズは、常に極貧状態の団の生活を支えるため、個人的に副業を行っているのだ。
出身映画が何だろうが、商才というのは確かに存在するようで、ウィズは、この世界における萌え産業が非常に安定した収入源になると判断し、持ち前の器用さ及び萌えポイントを押さえるセンスでもって、一気に売れっ子作家となったのである。
ちなみにウィズはフィギュアの製作及び販売も手がけていて、こちらも結構な資金源になっているのだが、本人が『裏稼業』と言っているこれらの中で、団内でもオープンにしているのはフィギュア製作、オープンにしていないのは同人活動。
隠すつもりはないが、おおっぴらに吹聴する気もない、ということで。
「今日も稼がせてもらうとしようか」
ふふふと怪しく笑い、ウィズはざっと商品を見遣った。
不足や間違いがないかどうかチェックし、準備が完了したことを確認する。
男性向けの『未成年は見ちゃらめぇ』な本も幅広く扱っているし、委託販売というかたちでそちらのゾーンにも参加しているウィズだが、現在彼がいるこちらは女性向け、オリジナルジュネでの2SP直接参加である。大手なので、もちろん壁配置だ。
本人は最近の売れる傾向をリサーチするために会場をまわるので、販売はせず、プロの売り子を雇って任せてある。
売り子は三人体制で、ひとりを補充要員として確保し、A0大判ポスターを、客寄せを兼ねてダンボール壁に設置してある。
新刊は年齢制限ありの教師教え子モノ、それプラスWEB再録をペン入れした無料配布本に、ポスター+ポストカードの紙袋でのセットを用意してある。今日の目玉商品というヤツだ。
オフラインではかなりの大手に位置するウグイスヒビキ氏にスケブ(スケッチブックにお気に入りのキャラクターなどを描いてもらうことを言う)をお願いしたい乙女の皆さんは多そうだったが、今回は時間的に余裕がないのでお受けできないことになっている。
――館内放送が、会場を告げた。
「さて、戦闘開始と行くか。……っと、そうそう、あとで『楽園』SPにもお邪魔しないと」
狩人の目をしてウィズは気合を入れる。
更なる資金稼ぎのためのネタも仕込みつつ。
理月(アカツキ)がカフェ『楽園』を訪れたのは、偶然でも何でもなく、常日頃から通い詰めている一環だった。
「……限定スイーツ? それを……その、銀コミとかいう会場で?」
紙すら碌にないような世界に生きていた理月にとって――中世前後の世界では、紙は一般人には手も出せないような高級品だ――、書物と言うのはなかなか馴染みのないものだった。実は良家の出であったらしい団長が一生懸命教えてくれたので読み書きはきちんと出来るし興味もあったものの、自分で書物を所有するということは難しかった。
それなのに、この世界では、自分で本を作って売るなどという行為――しかもそれは自分の楽しみのために、なのだそうだ――は、決して珍しくも、難しくもないのだという。
今日、銀幕市民ホールで行われている銀コミとやらには、四百以上の物書きたちが、自分の作品を売るべく集まっているのだといい、協賛という立場にあるカフェ『楽園』では、その会場で、銀コミ限定スイーツなるものを販売するのだそうだ。
「……行ってみるかな」
銀幕市内の本屋に売っているような、美しすぎて手を出すのを躊躇うような、整然とした本ではなくとも、物書きたちの気持ちが詰まった書物に触れたいという思いと、カフェ『楽園』の限定スイーツを逃したくないという思いが交差した結果、理月は銀幕市民ホールへ足を運ぶこととなった。
時刻は午前十時三十分、ちょうど開場となった時間だった。
ものすごい人出に、やっぱり皆本に対する憧れみてぇのがあるのかなぁなどと思いつつ、入場費兼パンフレット代とかいう三百円を支払い、美麗な装丁のなされた――どういう美麗さかは察して欲しい――パンフレットを受け取って、その紙の手触りにちょっと感激しつつ会場内をいくばくか歩いたところで、理月はレストスペースの一角に見慣れた風景を発見した。
美しい花と緑に囲まれた空間は、カフェ『楽園』のそれと同じデザインで、見つけるのは容易かった。
それはいいのだが、
「おお、あれか。よし、待ってろよ限定スイー……んん!?」
なにやら見慣れたモノを発見し、理月は思わず目を剥く。
――きゃあきゃあとさんざめく少女たちに囲まれて、苦虫を噛み潰したような顔をしているのは、恐ろしく美麗かつフェティッシュな衣装に身を包んだ、メイドさん仕様の神宮寺剛政だった。
銀幕ジャーナルで見たメイドカフェ時のメイド衣装もすごかったが、今回のは更にすごい。それを身につけさせられている剛政の胸中を思うだけでもらい泣きしそうになる。
しかしそれと同時に色々な不安と心配が押し寄せ、
「って、今日ってそういう催しなのか……!?」
思わず周囲を見渡す。
正直、波乱万丈な彼の人生においても、あの美★チェンジというのは五本の指に入るほどの衝撃だったのだ。何度も経験したいものではないし、回避できるのならするに越したことはない。
しかしながら、運命というのは彼を放っておいてはくれないらしい。
神がかって目敏い(実際それに属する生き物なのだから当然なのだが)森の娘、イーリスに発見された理月が、限定スイーツを餌に物品販売の手伝いを約束させられるのは、そこから三分後のことだ。
★2.ディープ&ディープ!
メイドカフェの時に装わされたものより数段目に痛い衣装をまとい、崩れ落ちそうになりながら剛政はレストスペースの手伝いをしていた。
ちなみに今日の衣装はリーリウム渾身の出来とでも言うべき代物で、メイド服と言うより『メイド服に興味を持った姫君が戯れに作らせたメイド服風ドレス』とでも表現する方が相応しく、裾や袖は長くなったのに露出度とゴージャス感まで二割増の、まず間違いなく普通の男性諸氏は一生身につけないだろう類いの衣装だった。
鮮やかな青を基調に、やわらかく色合いを変えながら幾重にも重なるレースやフリルが夢のような美しさで全体を彩る、美麗かつフェティッシュな姫メイド服である。
胸元で可憐に揺れるシルクのフリルとか、腰の真中できゅっと引き絞られた鮮やかな青のリボンとか、ものすごく綺麗に整えられてマニキュアまで塗られてしまった爪とか、それら諸々が視界に入るだけで、俺は死んだ方がいいんじゃないかなどと本気で思ってしまう。
しかし、リーリウムの、「きちんとお仕事をしてくださらないと、わたし、哀しみのあまりご主人様に新作のネグリジェを七着プレゼントしてしまうかも」という剛政的地獄をお約束★な脅しによって、彼は(引き攣ってはいるが)営業スマイル乱舞を余儀なくされていた。
「くそ、なんで俺が……」
ぶつぶつとこぼしながらも、脅しを実行されるのが心底恐ろしくて、ターシャ姫殿下は、『どこからどう見ても男だけどメイドさん』な彼に怯まず、むしろ萌え萌えでアタックしてくる猛者たちに限定スイーツを販売する。
しかもかなり好調。
「大体、理月は何で普通の格好のままなんだよ、不公平じゃねぇか……」
限定スイーツを餌に、レストスペースではなくイベントスペースの手伝いを約束させられ、リーリウムとイーリスに引き摺られて行った漢女仲間(このカテゴリで括るのも切ない話だが)の名を挙げ、恨めしげにスペースがあると思しき方向を見遣る。
それは、映画ジャンルゾーンに理月を連れて行ったときの周囲の反応が見てみたい、という森の娘たちの純粋な興味によるものだったが、剛政にはそのことを知る由もない。
ただし、設定が現代人であるため、同人やコミケ、女性向けや腐女子の何たるかを理解している剛政は、あの空間に踏み込んで、自分が餌食になるのも嫌だったし、理月なんぞはいい玩具にされてしまうのではないかという予測はついていた。
異世界ファンタジー系映画出身のムービースターとかあの中に連れ込んじゃ駄目だろ、と思わなくもないが、我が身が可愛いので口には出さない。
「どっちがマシかとか、そんな究極の選択要らねぇっつーの……」
深々と溜め息をついた剛政が、ますます賑わいを増してゆくレストスペースに、どうでもいいけど俺ひとりじゃさばききれねぇぞこれ、などと思っていると、ものすごくイイ笑顔のイーリスが戻って来た。
――生け贄もしくは被害者という名の客を伴って。
「あー……えーと、取島に、あれは……」
深青を基調としたゴスロリ衣装に身を包んだイーリスの背後には、どこにでもいる何の変哲もない一般人といった趣の青年・取島カラスと、もうひとり、最近ジャーナルやイベントなどで見かけはするものの直接顔見知りというわけではない長身の男とがいて、お互いになにやら言葉を交わしつつこちらへ歩いてくる。
まだターシャちゃんな剛政には気づいていないようだ。
出来ればそのまま回れ右をして帰ってくれ、というのが剛政の切なる願いだったが、もちろん、それが叶えられることはなく、
「……じ、神宮寺、君……?」
姫メイド・ターシャちゃんを目にした取島カラスが、眼鏡の向こう側の目をまん丸に見開き、
「あー……俺は確か、レストスペースとやらの手伝いを頼まれてここへ来たはずなんだが……何か、物凄く嫌な予感を伴った幻覚が見えるような気がするのは、気の所為だよな……?」
右目を黒い眼帯で覆われた男が一歩後ずさる。
「ああ、カラスさんはターシャちゃんとお知り合いなのね、ちょうどいいわ。レイドさん、もちろんお手伝いするためにここへ来ていただいたのよ。そう驚かず、話を聞いていただけるかしら?」
まず間違いなく彼らの脳裏をよぎっただろう嫌な予感は、限りなく正解に近い代物ではあったが、当然、生け贄を森の娘が逃がすはずもない。
かくてざわざわとツタは蠢き、被害者ふたりを美★空間へと誘(いざな)うこととなるのだった。
単に挨拶に来ただけなのに、と胸中で打ちひしがれつつ、カラスはレストスペースの一角、カフェ『楽園』の販売ブースで手伝いに精を出していた。
「い、いらっしゃいませー……」
声にはあまり元気がない。
それも当然のことで、声に加えて耳の先から首まで赤くなっているのは、もちろんカラスが(も、という方が実際には正しい)、男という性別では決して手を出してはいけない類いの衣装を着せられてしまったからだ。
額に青筋を浮かべつつも乙女たちの猛攻に屈さず接客に精を出す剛政が着せられている姫メイド服ほどのインパクトはないものの、絹製の花とフリルとレースに彩られたゴスロリ風ワンピースというのは、やはり、どう考えても、三十路を超えた成人男性が着ていいものではないと思うカラスである。
くせのない顔立ちであること、それほど長身でも筋骨たくましい体型でもないことが幸いし――そこを幸いと取るか災いと取るかは当人に委ねられそうだが――、完璧なメイクのお陰もあって、取島カラス改め佳里奈(カリナ)などという源氏名まで与えられてしまった現在、カラスが『彼』であることなど、シチュエーション的には気づかれていたかもしれないが、外見的に見抜けるものはいなかった。
「気づかれなくても試練は試練だよね、これって……」
飛ぶように売れてゆく限定スイーツを羨ましく眺めつつ、それらを注文に応じて袋詰めしながらカラスが呟くと、隣で同じように販売員を務める剛政改めターシャちゃんはハハハと乾いた笑い声を漏らした。
「つぅか、気づいても寄ってくる腐女子って連中がものすごくおっかねぇと心底思った……」
「ああうん、すごいよね。でも神宮寺君のそれ、すごくいい出来だよね。結構似合ってるし、大丈夫なんじゃないかな」
「……何がどう大丈夫なのか小一時間ばかり議論してぇって気持ちはあるが、なんか無駄っぽい気もするし、褒め言葉をどうもありがとう、とだけ言っておくぜ……」
微妙にずれたことを言うカラスに、遠い目をした剛政がフッとニヒルな笑みを浮かべてみせる。
その視線がブースの後方へ向けられ、
「んで、悪魔の旦那はいつ頃戦列に加わってくれるんだ? ちゃんと働かねぇと、あとあとマジでおっかねぇことになるぜ?」
剛政が、植物の陰に隠れるように打ちひしがれているレイドにそう声をかけると、
「こ……こんな恰好で表に立てるかああぁッ!」
押し殺したような魂の叫びが地を這うかのごとくに発せられる。
「あー……大丈夫だって、たぶん。何とかなる。旅の恥は掻き捨て、ってよく言うだろ?」
「何の旅だ、それは!? 人生という名の旅なのか!?」
「なるほど……レイド君、なかなか詩的なことを言うね。ちょっとポエジィを感じちゃったよ」
「どうでもいいけど、突っ込むべきとこはそこじゃねぇと思うぞ、俺は」
こんな恰好知り合いに見られたら生きていけない、と蹲(うずくま)るレイドは、裾の部分に色鮮やかな鳳凰が踊る真紅のチャイナドレス(もちろんスリットはきわどい位置)を着せられ、メイクを完璧かつ執拗に施されて、『ちょっと大柄でたくましい美女』に大★変★身★してしまっていた。
あの短時間で何をどうやったのか、脱毛もお手入れも完璧で、裾から覗くすらりとした脚は、筋肉質ではあるものの美しいの一言に尽きる。
尽きるが、シリアスな映画の主人公であるレイドには、色々と納得の行かないこともあるだろう。というか、納得できないことだらけだろう。
おまけに頭には可愛らしいウサギ耳が鎮座している。
チャイナドレスのウサギ耳美女。
――本人的には、地獄以外のなにものでもないだろうとカラスは思った。
「駄目だこのまま地の底まで埋まりたい……」
ううう、と呻くレイドを、カラスが気の毒げに(しかし助けてはやれないゴメンネ的視線を込めて)見遣ったとき、
「あ……あれ? えーと、あんた( P N )だよな? 何でそんなカッコしてんだ? そういう趣味があったのか、実は?」
唐突に響いた素っ頓狂な声は、先刻カラスが立ち寄ったばかりの、今回無事に新刊を発行した知人のものだった。
カラスは思わず悲鳴を飲み込み、また硬直する。
男には見えなくても面影がなくなるわけではないので、本来の顔を知っている人間、特に鋭い観察眼の持ち主には気づかれてしまうという寸法だ。今回のカラスの不幸は、知人がその『鋭い観察眼の持ち主』だったことだろう。
イイエソンナヒトシリマセンとしらばっくれようとしたのだが、彼に真っ向からじっと目を見つめられて二の句が告げられなくなった。間違いなくばれている。
「う……」
何から何を説明すればいいのか、カラスが背中に冷や汗をかきつつ硬直していると、彼はぽんと手をたたき、
「なるほど、これが有名な美★チェンジって奴か。へえ、すごいな、あんたのこと知らなかったら、男とは思わないだろうな、これ」
ありがたいのかありがたくないのかちょっと微妙な納得をしてくれた。
「いや、その、これは……」
「判ってる判ってる、お兄さん全部判ってる。皆まで言うな」
おまけに弁明を許さぬ調子でさえぎられ、
「んじゃまぁ、せっかくだから」
ちょっとお借りします、と『楽園』ブースに声をかけた彼に背中を押され、連れ出される。
「な、ななな、何を……!?」
「いやほら、面白そうだし、ウチで売り子やってもらおうかと思って。何人があんただって気づくかな?」
「ちょっと待とうそこ。面白そうってちっとも理由の説明になってないだろ。大体、俺だって気づかれたら物凄く不味いって言うか明日から街を歩けなくなるんだけど!?」
「晩メシ三回奢る。しかも飲み放題食い放題」
「う」
「じゃ、決まりで」
一瞬の躊躇が命取り。
彼のスペースへと拉致られながら、カラスは、せめてこれ以上知り合いには会いませんように、と切実に祈った。
何でこんなことに、とは本日十数回目のレイドの自問自答だったが、明確な答えをくれるものはここにはいない。
大した理由があって訪れたわけでもない銀コミなるイベントで、美麗なコスチュームに身を包んだ森の娘たちを見かけ、知り合いだからとついつい声をかけたらこの様だ。
この先一体何を信じればいいのか、と大袈裟かつ悲壮なまでに思っていると、
「あらあら、どうしちゃったの、レイ子ちゃん。せっかく似合っているのに、そんな風に衣装を隠しては、勿体ないわ」
たくさんの本を腕に抱えて戻ったイーリスが、そのまんま過ぎる源氏名を呼びつつものすごくいやらしい手つきで尻を触って来たので、レイドはギャアと悲鳴を上げて飛び上がった。
「俺はレイ子ちゃんでもなきゃ似合ってもいないし、勿体なくもないだろ、これは……ッ!」
思わず涙目で抗議すると、にっこりと美しく笑った神聖生物は、
「じゃあ……ハイソに、レディ・レイでどうかしら? 韻を踏んだ名前というのも素敵よね」
などと、まったくありがたくもない提案をした。
レディじゃないしハイソなのかそれ、とレイドが突っ込むよりも早く、
「それでねレイ子ちゃん」
イーリスが、本来市販されている本とは明らかにサイズの違う本を何冊か取り出し、レイドに指し示す。
「結局そっちなのかよ!?」
「そんな顔のあなたも可愛いとは思うけど……怒ってばかりだとお肌に悪いわよ? 私、笑っているレイ子ちゃんの方が好き」
「好きとか嫌いとか言う問題じゃ……ああもう、どこから突っ込んだらいいのかサッパリだ……! って、ん? なんだ、これ? これがどうかしたのか」
「可愛い天使ちゃんへのお土産にどうかと思って、買って来たの」
「え、あ、そ……そうなのか、わざわざすまない、な……!?」
相棒のことを考えていてくれたのか、と恐縮しつつ、受け取った本をぱらぱらとめくったレイドは、そこに踊る様々な絵と文字がたったひとつの事柄を指していることに気づいて目を剥いた。
本のタイトルは『ねがいのゆくえ』。
本の中では、可愛らしいとカッコいいの間くらいの絵柄で、明らかにレイドと相棒の天使と思しきデザインの少女が、
「『こいつは俺の恋人だ、手を出す奴には容赦しない』『レイド、そんな……』『おまえは黙ってろ、俺は愛するおまえを守るためなら何だってやる』……らぶらぶってこういうことを言うのかしらね?」
映画での役柄を超えた関係を赤裸々に演じているのだった。
『俺はアイツの父親でも恋人でもない、アイツは相棒だ!』というスタンスを貫いてここにいるレイドにはものすごいダメージだった。しかも、本来の自分なら死んでも口にしないような小ッ恥ずかしい台詞を本の中のレイドは臆面もなく吐いている。
そのうえその文章を声に出して読まれるとか、それ何て拷問。
「音読すんなああああああッ!!」
首まで赤くなったレイドが思わず絶叫したのは当然のことだったが、イーリスはまったく動じず、
「あらあら、恥ずかしがり屋さんなのね、レイ子ちゃんは。じゃあ……こっちはどうかしら。R18本らしいのだけど……R18って、何だったかしら」
などと確信犯そのものの笑顔で言いながら、明らかに自分と相棒の少女と思しき人物が表紙に描かれ、『悪魔×天使18禁本』と表記された本を数冊、レイドの目の前に掲げて見せただけだった。
しかも中身を見せられ、そこに『子どもは見ちゃらめぇ』な内容を突きつけられて、レイドは赤を通り越して黒くなり、更にどこかから血が出そうになった。それが鼻血だったかどうかは不明だ。
「じゃあ……こっちは?」
更に見せられた数冊の本は、デザイン的にどう考えても自分だがどう見ても自分じゃないくらい線の細い『誰か』が表紙に鎮座するもので、『悪魔総受け本』とかいうよく判らない単語が踊る不吉な代物だった。
腐女子の妄想パゥアたるや凄まじく、本の中では、レイドが映画の中で出会ってきた様々な男性諸氏(擬人化含む)との絡みが華麗かつハレンチかつ腐方向まっしぐらに描かれており、中身を見たら、多分レイドは卒倒することだろう。
ディープな単語はレイドには判らないし尋ねる気もないが、何か碌でもないものを突きつけられていることは判る。そしてそれらが、決して相棒の少女への土産に相応しいものではないということも。
「い、いや……せっかくだが、遠慮しておく。うん、残念だが」
中身を見ないように恐る恐る本を返すと、イーリスはあまり残念そうではない笑顔で、
「そう……残念ね。じゃあ、この本は、『楽園』の皆で回し読みしておくわ。とっても興味深い内容ですものね」
などと、羞恥プレイ決定の宣言をした。
レイドが血を吐きそうになったのは、もちろん、デフォルトだ。
★3.ハンター視点にて。
時計は午後一時を少しまわっていた。
自スペースの売れ行きを何度か確認に戻りつつ、最近の売れ筋傾向をチェックし、次に出す本のネタを固め終わったウィズは、じゃあ、と、今回のもうひとつの目的である『楽園』スペースへと足を向けた。
今日のウィズは、ファーつきフードダウンにデニムという一般人っぽい格好なので、あまりムービースターらしくはないが、尖った耳に左側のみの三つ編みというトレードマークは、映画『グランドクロス』のファンたちには夜の海を照らす灯台のように映ったことだろう。
何やら意味深な視線や囁きを感じるが、『楽しくお金儲け』がモットーのウィズは、自分が掛け算の中に組み込まれることに抵抗はないのだ。
おまけに、男(しかも映画だけに美形率は高い)の多い海賊映画で、そういう腐ビジョンが横行しているだろうことは想像に難くない。
だから、特に気にするでもなくそれらの視線その他をさらりと受け流し、『楽園』スペースを訪れたところ、そこにいたのはゴスロリ姿の森の娘たちではなく、星光のような銀眼以外のすべてが漆黒という背の高い男だった。
ゴシック&ロリータ関連のグッズがところ狭しと並べられたスペースにて、慣れない手つきで金銭を受け取り、つり銭を手渡している彼は、身体にぴったりとした動き易い武装に、腰には美しい装飾がなされた刀を佩いている。身体のあちこちを覆う包帯や絆創膏は、彼のデフォルトというべき代物であり、腐女子ビジョンで言うならば萌えポイントだ。
あれがコスプレだったら相当な力の入れようだろうが、滑らかできめの細かい黒檀の肌は、なかなか一般人のメイクで出せるようなものではなく、どこからどう見ても本人だ。
つまり、映画『ムーンシェイド』の主人公にして神技神速の体現たる凄腕の傭兵、理月である。
鋭い眼差しの、パッと見は怖いシャープな美形だが、頬を赤らめた乙女たちが様々なグッズをお買い上げになるたびに彼が見せる笑顔は、びっくりするほど無防備で幼い。腐女子ビジョンで言うなら総受――……いや、この先は自重しておくべきだろう。
銀幕ジャーナルでも様々な活躍を見せる傭兵氏の売り子効果か――美形がいるだけでテンションは上がるというのに、映画のコスプレをした(といっても自前の衣装というだけだろうが)ムービースターが笑顔とともにグッズやつり銭を手渡してくれるのだ、ここで興奮しなくて何が腐女子、何がBonnouか――、『楽園』スペースには人だかりが出来ていた。
ここの販売を任せた森の娘たちも、恐らくそれを見越して美★チェンジをさせなかったのだろうと、レストスペースの姫メイドその他を思い起こしつつウィズはひとり納得する。
こういうときの割り込みが死を招くことを今までの経験でよく知っているので、スペースが落ち着くまで待つことにして、ウィズは、販売業など携わったこともないだろう漆黒の傭兵氏が、たどたどしい手つきでつり銭を手渡し、ありがとうな、と笑顔を見せるのや、それを(腐)乙女たちが卒倒しそうな上気した顔で見つめる場面などを観察していた。
――ああ、あんな表情も、売れそう。
胸中に呟くのは、表沙汰にしている裏家業、フィギュアのことである。
理月とその周辺に集う戦闘系ムービースターたちは非常に需要が大きいので、ウィズも何度もお世話になっている。
――無断で。
異世界ファンタジー系の映画から実体化したムービースターたちは肖像権云々など気にはしないだろうというのが主な理由だが。
今度は腐女子狙いで無防備な笑顔逝ってみるかな、やっぱ包帯関係は外せないポイントだよな、などと自己完結した辺りでようやくスペースが静かになった。時間に換算すると三十分は待っただろうか。
「ちわーっす」
軽い挨拶とともに片手を挙げ、『楽園』スペースへと近付くと、
「ああ、――えーと……?」
挨拶を返そうとして、名前が思い当たらなかったのか、理月が首を傾げる。どちらかというとウィズの方が一方的に(売れるモチーフとして)知っていると言うだけなので、当然といえば当然なのだが。
「ああ、オレはウィズって言うんだ。アンタは理月、だよな?」
「え、ああ、そうだが……」
「ジャーナル、読んでるぜ。アンタってホント、カッコいいよな」
「へ? いや、そう言ってもらえんのは嬉しいけど、そんな赤裸々に褒められるようなことをした覚えはねぇぞ」
「ああなるほど、そういう自然体なところが(以下略)。まぁそれはさておき、森の娘さんたちに用事があって来たんだけど、彼女らは?」
「……? って、ああ、リーリウムたちか。あー、なんだったかな、一時間ほど前、『狩りに出かけて来る』とか行って、ふたりして出て行ったっきりなんだ。しかし、狩りって、一体何を狩るんだ? 猛獣でも出んのか、ここ?」
「ああうん、確かにハンティングだ。しかも命がけの」
「……どんだけ危険なんだよ、ここ」
「そこは知らない方が幸せかもとは思うけどな、オレとしては」
「じゃあ、そんなトラウマになるような化け物が出るのか。それを狩りに行っちまうなんて……森の娘はやっぱすげぇな、スケールが違うぜ」
別方向に感心する理月は、当然、この銀コミ会場を席巻する腐女子という名のモンスターなど知りはしないだろう。知ったら知ったでトラウマになるかも知れないが。
「そっか……じゃあ、どうしよっかな」
ひとまず、彼女らと会うことは今日の目的のひとつでもあるので、仕方がないしばらく待とう、と、午後二時三十分を差している時計を見遣りつつウィズが呟いたところで、ぐるりと周囲を見渡した理月が、
「あ、帰ってきたみてぇだぞ。――何か、すげぇ大荷物だな」
当人たちの帰還を教えてくれる。
振り向けば、数十メートル先に、ものすごい人ごみであるにもかかわらずそこだけが輝くような神々しさに満ちた空間があり、一体なんなのかと思えば、腕いっぱいに冊子を抱えたふたりの森の娘、ゴスロリ姿の美しい乙女たちが、にこやかに談笑しながらこちらへ向かって歩いてくるのだった。
「ただいま、理月さん。お留守番、どうもありがとう。イーリスがこちらの店番をするから、『楽園』ブースで少し休憩しましょう」
「ん、ああ、どういたしまして。休憩か、判った。……しかしすげぇ量だな。狩ってきたって、その本のことなのか?」
「ええ、大収穫だったわ。ねえ、イーリス?」
「ええ、リーリウム。きっと皆喜ぶわ、とても素敵な内容ばかりだもの」
リーリウムとにっこり美しく笑い合ったイーリスが、ウィズを見遣って首を傾げる。
「理月さん、そちらは?」
「いや、俺もよくは知らねぇんだけどな。なんか、あんたたちに用があるって」
「あら、そうなの? ええと……ウィズさんだったかしらね?」
「お、名前把握されてるんだ、オレ。光栄と言うべきなのかな?」
「確か、何度かカフェの方へ来てくださっているでしょう。そのときに、私たちの誰かがあなたの名前を伺ったのだと思うわ。私たち、基本的な情報は精神内で共有しているから」
「へえ、森の娘ってそんなことも出来るんだ」
「ええ、便利でしょう。それで、ご用件は、何かしら?」
「ああ……そうだな、ここで長話をするのも邪魔になるだろうし、向こうのレストスペースで、どうかな」
「判ったわ。ではイーリス、お留守番をよろしくね」
「もちろんよ、リーリウム」
理月がスペースから抜け、その空間に今度はイーリスが収まる。
「あー、物を売るってのも大変なんだなぁ。楽しかったけど、疲れたわ」
「はは、お疲れさん。まぁでも、貴い仕事だってことは判るよな」
「それは確かに。ありがとうって言われると、嬉しいしな」
「そうね、楽しんでくださる方、愛してくださる方がおられるからこそ、わたしたちも『楽園』を愛しているといえるのかもしれないわ」
「ん、俺も『楽園』大好きだぜ」
「そう率直に言われると照れてしまうわね」
他愛ない言葉を交わしつつ、人ごみを抜け、レストスペース内の『楽園』ブースへ。
美形ムービースターたちが連れ立って歩く姿に、映画ジャンル萌えと思しき人々が垂涎の眼差しを向けていたが、リーリウムは気に留めず、理月は気づかず、ウィズは気にせずで、三人はさっさと目的の場所へ進む。
★4.ダンス・ウィズ・フジョシズ
「『楽園で美★チェンジした漢女たち』のフィギュア製作の許可が欲しいんだ」
開口一番、そんなことを真顔でのたまったウィズに、理月は茶を噴きそうになった。
盛大にむせ、涙目でウィズを見る。
「ど、どーすんだ、それ……?」
「売るに決まってるだろ」
「……売れんのか?」
「それはもういい値段で」
「……不思議な世の中だなぁ……」
思わず遠い目をする理月の隣で、ウィズは更に提案を続ける。
「あと、漢女たちにおける、『あらゆるカップリングに対応した禁断の姉妹設定』を押した創作本を発行するのはどうかな」
「どうかな、じゃねぇだろオイ!? いきなり来て何俺たちに思い切り優しくねぇ提案してんだよ!?」
そろそろ某ベビーピンクの君と並んで『楽園』筆頭漢女のひとりと称されてもおかしくなさそうなターシャ姫殿下こと剛政が目を剥いて詰め寄る。姫メイド姿では威厳も威圧感もへったくれもなかったが。
詰め寄られたウィズはというと涼しい顔で、
「へ? だって、本人たちよりも先に楽園側に許可取るのが筋でしょ、この場合。衣装も彼らの存在も彼女たちあってこそ、なんだからねぇ?」
と、漢女たちの言いたい部分とはかなりずれた指摘をする。
「いや、そうじゃね……」
剛政の言葉は最後まで続かなかった。
何故なら、
「素敵ね」
「え」
「とっても素敵。わたしも見てみたいわ、その全部」
「それは許可と取っていいんだよな?」
「ええ、『楽園』はウィズさんが漢女たちをモチーフにして創作活動をされることを全面的に支持し、バックアップするわ」
――森の娘の筆頭が、あっさりと、ものすごくイイ笑顔で許可を出してしまったからだ。
「ぅおおぃそこの森の娘ッ!? 被害者の意見は反映されねぇのかよッ!?」
「いいじゃない、面白そうだから」
「よくねええぇッ!」
「心配しなくても、とびっきりのツンデレ美少女に仕上げてもらうから大丈夫よ、ターシャちゃん」
「ツンデレでも美少女でもターシャでもねぇって何度言ったら判るんだこの鶏頭――――っ!!」
「まあ」
「え」
「そんな反抗的なことを言うと、今すぐに作ってしまうわよ?」
「……って、な、何を……?」
思わず逃げ腰になった剛政が恐る恐る尋ねると、にっこりと黒く微笑んだリーリウムは、その場に置いてあったスケッチブックを手に取ると、ペンをサラサラと走らせ始めた。
「うわ巧いなリーリウム」
「あら、ありがとう理月さん。あとで理月さんも描いて差し上げるわね」
「いやそれは出来れば遠慮した……」
「うふふ、そう恥ずかしがらずに。――はい、ターシャちゃん」
「え?」
「コンセプトは、『反抗的なツンデレ美姫メイドをよってたかって調教もとい教育する育成シミュレーション型ストーリー』でどうかしら」
言ったリーリウムの手の中に鎮座する、どこからどう見ても男だが、何故か可憐な雰囲気を漂わせた姫メイド・ターシャちゃんのあられもない姿(※各自ご想像ください)が描かれたスケッチブックを目の当たりにして理月はまた茶を噴いた。
友人でこのレベルの衝撃なのだから、ネタにされた当人は爆死級のショックだろう。ものすごい勢いで目を剥いている。
「どうかしら、じゃねぇだろおおおおおぉッ!? しかもなんだその異様なリアルさ!? マジで訴えるぞ肖像権とかその辺りでッ!!」
「あら……でも、こんなの、いっぱいあったわよ?」
「何がだよッ」
「だから、ターシャちゃんじゃないけど、剛政さんを主人公にした本。楽しくなって、たくさん買ってきたのよ、見てみる?」
怒りにわなわな震える剛政に、リーリウムが、確かに神宮寺剛政と判るデザインの青年が表紙に描かれた何冊もの本を掲げてみせる。
「ほら、これなんか、とっても素敵な出来だと思うのだけれど」
リーリウムが本の一冊をぱらぱらとめくる。
……本の中では、剛政にとっては主人に当たる悪魔紳士と剛政本人が、日常生活ではあり得ないような密着ぶりで『運動』に励んでいるシーンが美麗な絵柄でもって展開されていたり、しかもそれがSだったりMだったりというようなちょっとアブノーマルなストーリー仕立てになっていたりで、それを真正面から見てしまった当人が「ぐはっ」という断末魔の呻き声を上げて蹲る。
真後ろから昏倒しなかっただけマシかもしれない。
「それから、こっちはソウウケ本と言うのですって。剛政さんは愛され体質なのね」
にこにこと笑ったリーリウムがもう一冊の本を掲げ、ぱらぱらとめくってみせる。
その中では、剛政にとっては敵であったりライバルであったり協力者であったり友人であったりする映画内の登場人物(当然男)たちと剛政本人が以下略。三角関係四角関係どころでは済まないハーレムぶりで(登場人物は全員男だが)、しかも絵柄が可愛らしいのもあって剛政さんたら妙に乙女。
腐ピンク全壊もとい全開の本の数々に、剛政が、「ふふ、死ぬにはいい日、かもな……」などと妙にニヒルなことを言いつつ、辞世の句でも読み出しそうな表情で床を掻き毟る。
理月は必死に見ないふりをして、今日の茶は格段に美味いなぁとつぶやいたり、魂を口からこぼしつつ接客に従事しているチャイナドレスの悪魔を頑張れよーと応援してみたりした。
しかし、
「それから、理月さんにはこれね」
矛先はやはり自分にも向いた。
「ぅえッ!?」
差し出された本を反射的に受け取ってしまい、本=神聖で大切なもの、という意識もあって放り出すことも出来ず、恐る恐る手の中のものを見下ろした理月は、
「……あれ、クロカ?」
故郷においては兄代わりだった男の名を口にした。
リーリウムが言うには大手の壁サークルとやらが発行しているらしく、大変に美麗かつ写実的な絵柄で、特に肉体の美しさは美術本にも匹敵する。
どこからどう見ても自分と思しきデザインの人物と、どこからどう見ても傭兵団『白凌』内の兄貴分だった男が笑い合っている表紙に、それがリアルだったのもあって妙に懐かしく思い、理月はページをめくる。
めくって、首を傾げた。
「……こんなシーン、映画内で描写されてたっけ……?」
理月自身は当然知らないが、映画『ムーンシェイド』においての王道カップリングといえばクロカ×理月なのだ。傭兵団『白凌』にはいい男が多く、カップリング相手には困らない状態だが、理月がどん詰まりの右扱いされていることに変わりはない。
「……案外落ち着いてんな、あんた」
ようやく立ち直った剛政が、何とか呼吸を整えつつ立ち上がり、それほど取り乱してもいない理月に声をかける。
「え、いや、うん……その、」
そこで理月が思わずしどろもどろになったのは、
(まさか、事実だけに驚きもしねぇなんて、言えねぇ……)
という、何で皆知ってんだろ、という驚きの方が勝ったからなのだった。
そもそも彼らの世界観、文化レベルで同性愛など珍しくもないのだ。男女どちらにせよ。
理月は、お互いを『お姉さま』『仔猫ちゃん』で呼び合う女騎士たちのカップルと知り合いだったし、親友なのか恋人なのか判然としない睦まじさの騎士や兵士たちを何人も見てきているし、『白凌』内にも同性カップルなら幾つもあった。
だから、どちらかというと懐かしく感じたくらいで、あまり衝撃ではなかったのだ。異世界ファンタジー映画出身のムービースターは、そういう意味で少しずれている。
しかし。
「それからこれ。向こうの壁サークルで買ってきたのよ」
差し出された本の表紙に、ものすごーく見慣れた、魔性のと呼ばれる美壮年氏とあられもなく抱擁を交わしている自分の姿を見出して、理月はその場で昏倒しそうになった。
リーリウムがぱらぱらめくるのをチラッと見てしまった限りでは、以前行われた地獄での武闘会をネタにしたストーリーであるらしい。あのときのあれは確かに相当な衝撃だったわけだが、少なくともあの時からあんな関係だったわけがない。
少なくともあの時は。
自分の世界の中だけでのことならともかく、映画を超えた作品は敷居が高すぎる。
「あ、黒理本『剣の塔』編! 私も買ったんですよそれ! ここのサークルさん、お話は素敵だし絵はお上手だしで、本当に神サークルですよね〜!」
こちらの様子を伺っていた乙女たちが、同じ本を買ったという気安さからか声をかけてくる。
「黒理本『カタルシス』編も買いました? あれももう萌えすぎて死ぬかと!」
「ああ……これのことかしら? 本当にお上手ね、戦闘シーンも(放送禁止用語)シーンも、びっくりするほどリアルで、驚いてしまったわ、わたし」
「そうですよねー。ここの作者さん、萌えのために生きてるって仰ってましたし……魂込めてるんでしょうねー」
「でも、黒理もいいけど、あたし、十理も捨て難いのよね」
「え、でも彼は……」
「うん、だから四角関係」
「でもやっぱり黒理よ、黒理!」
「判ってるってば。何にせよどん詰まりの右、ってことは確かなのよね」
「それは天地神明の理並の真理よね」
――何やら、ものすごく高度な専門用語が飛び交っている。
理月には専門用語の半分も理解できないが、腐女子方向に碌でもないことを言われていることは何となく判る。事情通らしいウィズの、ははあなるほど的意味深な視線が突き刺さる。
「……やっぱ、理月の場合は総受け本が一番売れそうだなぁ。うん、ここに交友関係を絡めて……」
しかも、やっぱり碌でもないことを言われているような気がする。
「……銀コミって、おっかねぇ場所だったんだな……」
限定スイーツゲットという目的は果たせたが、何と言うか、決して足を踏み入れてはいけない領域に入り込んでしまったような気もする。
同じくソウウケ本とやらを目の当たりにさせられて酢を一升二升どころかガロンや果てはバレルで飲んだような顔をしている剛政をチラリと見遣り、理月が深々と溜め息をついた時、
「あのッ、よかったら、皆さんの写真、撮らせていただけませんか……!」
先ほどの乙女たちが、意を決したようにそう申し込んできた。
視線の中には、姫メイド・ターシャちゃんや、うさ耳チャイナドレス美女レイ子ちゃん、そしてウィズや理月も入っているようだった。
「ふざけんな、誰が……」
「お受けして、ターシャちゃん」
「な、」
「――……ね?」
引き受けてくださらないと哀しみのあまりご主人様に以下略、というのを視線だけで語られて剛政が硬直し、がっくりとうなだれる。
理月は彼のあまりの不幸さに思わずもらい泣きしそうになったが、自分もその対象なので慰めることも出来なかった。美★チェンジしていないだけマシ、ではあるが。
そこへタイミング悪く戻ってきたのが取島カラスだ。
「ううう、疲れた、怖かった……!」
何が疲れて何が怖かったのかはさておき、すっかり涙目の佳里奈ちゃんを目敏く見つけ、乙女のひとりが声を上げる。
「あ、銀幕ジャーナルでも出てた……!」
「クロディーヌさんでしたっけ? やだ、何か、可愛いっ」
「今は佳里奈ちゃんっていうの。可愛いでしょう?」
「ええ、とっても! でも、思ってたより小柄なんですね〜」
「じゃあ、せっかくですから、佳里奈さんも!」
「ええ、もちろんよ、素敵な思い出にしてくださいね」
「はいっ」
「え、え、何のこと!? 何がどう素敵な思い出!? 思い出って言うか、すでにすっかりトラウマなんだけど俺!」
あれよあれよという間に彼も巻き込まれ、残り時間三十分という状況下において、写真撮影イベントへ突入と相成るのだった。
★5.夢の跡というか、苗床というか。
「すみません、ウィズさん、もう少し寄ってくださーい」
コスプレ撮影ゾーンはにわかに活気付いた。
巷で噂の美漢女が三人、美形ムービースターがふたり、合わせて五人もの生け贄もとい被写体がやってきたからだ。
おまけに、お客様は神さまです的サービス精神を発揮したウィズが、ちょうど隣にいた理月の腰に腕を回して彼を抱き寄せてみせ、更にその首筋に顔を埋めてみせたりとスキンシップ過多な奉仕を行って、映画ジャンル以外の腐女子たちをも巻き込んで黄色い悲鳴を上げさせる。
稲光だってこうは行くまいというような、ものすごい勢いでフラッシュが瞬いた。
誰かが盛大な溜め息をつく音が聞こえる。
これらの件で、被写体たちがぐったりと疲れ果てたことは明白だった。
とはいえ、ウィズだけは、きょとんとしている理月を生け贄にサービスシーンを演出しつつ、
「やっぱ萌え産業は金になるな、うん。これで団の経営も少しは楽になるだろ。漢女フィギュアもOKもらったし……よし、明日からも頑張ろう」
などと上機嫌だったが。
魂を試される撮影会のあと、被写体たちの血涙を完全にスルーした萌えトーク腐トークという名の歓談の場が設けられ、(一部の被害者を除いた)誰もが、まだ帰りたくない、もっとこの場所で色々なものを共有していたいと思っていた矢先に、午後四時を知らせる非情な放送が入った。
ああ、という溜め息は、この会場で色々なものに萌えまくった人々の心からのものだっただろう。
無論、
「……やっと終わりか。とりあえず一刻も早くこの碌でもねぇもんを脱ぎてぇんだが。何でこんな高確率で、俺は、スカートってのが実は結構不便なんだってことを、身を持って知らなきゃならねぇんだ」
「何でもいいから、早く着替えたい……こんな恰好、あいつとかあの小娘とかに見られたら腹切るしかなくなる……」
「え、限定スイーツ、もらって帰ってもいいんですか? やった、どうもありがとう、リーリウムさん。うん、それだけでなんか、きてよかったって気持ちになるな」
「さて、そんじゃまぁ撤収準備に入りますかね。色々ネタも仕込んだし、いいモチーフも思いついたし、明日も忙しいぞ、これは」
「あー……何か、どっと疲れたな。活気があるってのは、悪いことじゃねぇとは思うんだが……!」
ウィズを除く、なし崩しに腐女子たちの群の中へ放り込まれた面々は、安堵の息を吐くと同時に背伸びをしていた。こんなに疲れた日はそうそうない、というのが彼らの共通した思いだった。
「皆さん、今日はお疲れ様でした。次の銀コミはいつかしらね、うふふ。そのときは是非お手伝いをお願いしたいわ」
神々しく黒い笑顔でリーリウムが宣言し、二度とゴメンだと漢女たちが後ずさる。
もちろん、彼女らが本気でそう思ったとして、逃れるすべがないことも、すでに理解しつつある面々ではあるのだが。
――どこかで『くるたん云々』という叫び声と、なまはげのような野太い叫び声、そして銃声が響いたような気がしたが、きっと気の所為だ。
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クリエイターコメント | 大変お待たせいたしました! お届けが遅れまして大変申し訳ありません。
テラカオスを魂の合言葉に書かせていただきましたこのお話、正直、楽しかったです。実際にあんな本とかこんな本とかあればいいのにと思いました(真顔)。
ええと……多くを語ると色々ボロを出しそうなので、今回はこの辺で。
それではまた次なるシナリオでお会いしましょう。 |
公開日時 | 2008-01-27(日) 23:10 |
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